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第5回全国大会(2016)

日時:2016年5月27日(金)15:55~17:55
(発表時間は各25分+質疑応答各10分+休憩5分)
場所:同志社大学今出川キャンパス寧静館5階会議室
http://www.doshisha.ac.jp/information/campus/imadegawa/overview.html

1. 16:00~16:35 司会 伊澤 高志
『アテネのタイモン』における忠告と追従

高根広大

『アテネのタイモン』では、過剰な贈り物をして破産するタイモンの愚かさと、彼を見捨て離れていく人々の不誠実さが強調されているが、その一方で問題とされているのは、言葉が媒介する人間関係の腐敗である。欲のために集まる人々を疑い、しっかりと財産管理をするべきだという忠告に、タイモンは耳を貸そうとしない。彼の耳がすでに甘い追従の虜になってしまっているだけでなく、忠告者の言葉もまた上手く聞く者の関心を得られるようなものではないからである。ルネサンス期にはキケローやプルタルコスの友情論が受容され、助言し合うことで形成される人間関係が理想とされたが、タイモンと周囲の人間との間には、最後までそのような関係は築かれない。本論では『アテネのタイモン』における忠告と追従をめぐる問題点を検討しながら、人間嫌いタイモンの悲劇が描き出し読者や観客に提示する忠告とはどのようなものであるかを明らかにしていく。

2. 16:40~17:15 司会 川崎 和基
ジュリエットのカプリッチオ― T.S.エリオット「ある婦人の肖像」の「私通」をめぐって

熊谷治子

T.S.エリオットの詩「ある婦人の肖像」のエピグラフには、『マルタ島のユダヤ人』(The Jew of Malta)における「私通」(“fornication”)がエピグラフとしてかかげられた。だが、もともとは『白い悪魔』(TheWhite Devil)からの援用があった。さらに、この詩の収められた第一詩集のエピグラフには、ダンテ『神曲』「煉獄篇」第21歌において、スタティウスがウェルギリウスの霊像をつかもうとして失敗する場面が用いられている。本発表では、これらのエピグラフを念頭に「ある婦人の肖像」を読むことで「ジュリエットの墓の雰囲気」(“An atmosphere of Juliet’s tomb”, l.7)の背景になっていると考えられる幻想曲や人間模様について考察する。

3. 17:20~17:55 司会 楠木 佳子
先行的恩寵をめぐって:ダンとミルトンの場合

西川健誠

先行的恩寵の教義は元来カルヴァン的な限定・単働説的救済観とセットで英国のプロテスタンティズムに流入したが、アルミニウス主義の影響下17世紀には普遍・協働説的救済観と結びつくことにもなる。この観点からダンとミルトンの先行的恩寵理解の在り様を論じたい。
ダン『聖なるソネット』では「ああわが黒い魂よ」(“Oh my black soul”)に先行的恩寵への言及がある。同作中の他のソネットにも見られる神への極度に受動的姿勢からすると、後の説教者としてはともかく『聖なるソネット』執筆時のダンは、単働説に傾いていたように見える。
ミルトン『楽園喪失』では第3巻の神とキリストとの対話中で先行的恩寵の説明が与えられる。その説明によれば、万人に下される恩寵に応えるか否かは人間側の自由意志に寄る、という。第10巻のアダムとイヴの再生はこのような協働説的な先行的恩寵理解を体現したものだ。
恩寵を受けた側の人間にどこまでの能動性を認めるかの点で、二人の詩人の姿勢は分かれる。