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第1回全国大会(2012)

場所:立正大学大崎キャンパス 9号館地下1階9B15教室
日時:2012年5月25日(金)16:00~18:00
(発表時間は30分+質疑応答10分)

マーヴェルのメロン

吉中孝志(関西支部)

現在のマーヴェル研究は、Nicholas von Maltzahn のAn Andrew Marvell Chronology(2005)、そしてそれに大きく依存したNigel Smith のAndrew Marvell: The Chameleon(2010) の影響で、あまりに実証主義的な批評に流れる傾向があるように思われる。マーヴェルの「庭」が王政復古後に書かれた可能性をさらに支持する目的で、ヴォン・マルツァーンは、「メロンは南でしか育たなかったかもしれない」(‘…even once established in England, they could only be grown in the south’) と述べ、メロン栽培可能なマーヴェルの「庭」は、ヨークシャーのフェアファックスの庭ではなく、王政復古後にマーヴェルが訪れた南のウォートン卿(the Lord Wharton) の庭だと主張している。果たしてその信憑性や如何に。(本報告は、関西支部例会での発表の一部です。)

英国式庭園が色彩を導入するにいたった背景について―メイソンの花園を彩る17世紀英国の残照―

松平圭一(東京支部)

18世紀初めに、英国独自の庭園様式である自然風風景庭園(以下英国式庭園)が成立する。その特徴のひとつは、庭園内から色彩的要素を排除したことだった。しかしながら、18世紀末になると、英国式庭園が作り出す緑一色の空間が批判の的となり、英国式庭園はついに色彩を導入するにいたる。ウィリアム・メイソン(William Mason, 1724-97)の花園はその代表的な一例である。それ以来、色彩は英国式庭園にとって必要不可欠な構成要素となり、現在に至っている。本発表では、英国式庭園がその様式の成立にとどまらず、色彩の導入においても、17世紀英国の影響下にあることについて、以下の点から考察する。
I. 英国式自然風風景庭園は英国17世紀に頼って成立した
II. ウィリアム・メイソンは英国式庭園を花園に仕立てた
III. 色彩を導入した英国式庭園には、17世紀英国園芸の残照が見られた

Broadside Ballad preserved in Venice Preserv’d

佐々木和貴(東北支部)

王政復古期を代表する悲劇Thomas OtwayのVenice Preserv’d (1682)を取り上げる批評家の方向性は、近年、この芝居を「カトリック陰謀事件」と密接に関わる反ホィッグのプロパガンダとして読み解く立場と、政治的文脈から切り離すことで、初めて、そこに真の文学的価値を見いだしうるとする立場に分化している。本発表では、前者に近い立場から、これまで等閑視されてきた台詞の隠れた政治性についての補足情報を提示したい。具体的には、ヴェニスの有力者で滑稽なマゾヒストAntonioが劇中で口ずさむ“Hey, then, up go we”というリフレインに着目し、そこに流れ込んでいるブロードサイド・バラッドという同時代の豊かな民衆文化が、この芝居の政治性とどのように繋がるかを探ってみたいと考えている。