書評

ジョージ・ハーバート著『田舎牧師ーその人物像と信仰生活の規範』 山根正弘訳

朝日出版社、2018年、vi+151頁。

本書は17世紀イギリスで教区牧師、あるいはその職を志望する者(大学生)のために書かれたマニュアル本である。既に他紙で評したがより詳しく見てみたい。ハーバートは、ベマトンの牧師時代、死の前年1632年に本書を仕上げている(出版は1652年)。教区牧師の遵守すべきことを教え、祈りと儀式の大切さと美しさを示し、教区民に、信心深い、正しい、まじめな生活を送らせるための方法を説いている。牧師の日々の心構え、必要な知識、処世術、アドバイスが、礼拝、説教、神学から、教区民、家族、召使いとの関係、妻の選び方にいたるまで簡潔に書かれており、規則や教訓が並ぶ抹香臭い権威主義的な教科書というよりも実際的な指南書になっている。祈りが始まりと終わりに置かれており、牧師の神聖さを描く際には時に指南書を超える表現が見られる。近代初期の世俗化と合理化、専門化が始まる中、牧師が伝統的身分から職業へと移行していく時代を反映し、複雑な社会的な作品となっており、牧師の地位の周辺化、アイデンティティの不安定化への意識を読み取ることができる。ハーバートの伝記と詩の解釈をめぐり批評家たちが頼りにしてきたテキストであるが、学問的で親切な注が付けられた本翻訳は、英文学研究だけでなく近代初期イングランドの社会史、文化史、思想史、教会史の分野においても大きな貢献となるであろう。

本書には多くのジャンルが混在している。ハーバートと近かったジョン・アールのキャラクター・スケッチ「謹厳な聖職者」等と類似点があるが、『田舎牧師』の人物描写では一般化類型化を避けようとしている。性格上、聖書、祈祷書、教義問答は当然として、決疑論の影響は明らかであり後半数章はその関連から読むことができる。また「田舎牧師は、あらゆる面で知識が豊富である」とあるとおり、病気治療、法令集、ハズバンドリー(農場経営)等多様な話題に言及している。執筆動機としては、ハーバートは、世間に流布していたピューリタンのウィリアム・パーキンスやリチャード・バーナードによる牧師用マニュアルへの、アングリカンからの返答としてこの本を書いたとする見方がある。ピューリタンは牧師の内面、魂の問題を重視するが、『田舎牧師』では牧師の外面を強調していることが特徴的である。加えて中産階級的なピューリタンの著作と比べ、ハーバートの階級意識は上流であり、これらの観点からイタリアの行儀本(Stefano Guazzo)との影響関係を指摘する者がいる(K. A. Wolberg)。

文学的表現は様々で、章のタイトルが内容からずれて比喩的でアイロニカルに響くことがあり、例えば「牧師の蔵書」の章に本の話題が皆無で、「陽気な牧師」の章は「田舎牧師はたいてい憂鬱である」と始まっている。表現においても一人称、三人称など代名詞を微妙に使い分けて、読者との一体感を生み出し、個別事例から人間一般のテーマへと展開するなどの工夫をしている(R. W. Cooley)。田舎牧師は「神と隣人に対して果たすべき二重の義務」を持っており、権威と服従、謙虚さと崇高さ、内面と外面、個別と普遍などの分裂を意識して、曖昧な表現で両極を包含しようとしているように思われる。

政治から考えると、牧師のヒエラルキー(家庭、教区、社会、国家)観は、家父長制に基づくもので、教区民を教え導く牧師は父親のアナロジーで表現されている。そして社会秩序観は、国教会の受動的服従(passive obedience)のドグマの中にあると推測される(obedienceは全6度使用)。ローマ法王がエリザベス女王を破門して英国民に服従の義務を免除した時にこの教義が導入された。女王の廃位・暗殺陰謀事件、旧教の復活、ピューリタンの水平派などへの恐怖心に根を持つが、以後、社会的高位の者に対する謙虚さ、尊敬心、服従、恭順が、説教壇からのメッセージとなった(名誉革命後はホイッグに利用される)。本書がその教義の影響下にあるとすれば、第1章最初の文章中のobedienceは意訳せずに「服従」という訳語を使っても良いかもしれない。

しかしハーバートの牧師像が抑圧的、教条的というわけではない。ロバート・フィルマーの理論(『家父長制君主論』)から連想される絶対主義的権威主義とは異なり(フィルマー受容もそれほど単純ではないが)、ハーバートの牧師=父は寛容で思慮深く、ときに妥協的である。本書は牧師に対し、教区という共同体の中で様々な社会的・人間的配慮を示すよう求めており、一例としては「軽蔑される牧師」では厄介な教区民への対応策を丁寧にいくつも教示している。(ミシェル・フーコーなどを援用し、ステュアート朝国教会が教区牧師を社会統制の道具にしようとしたと言う者がいるが、歴史的文脈から遊離した偏った議論であろう。)

宗教的にハーバートの神学や政治的立場は曖昧で明確に特定し難いため、ピューリタンとする学者や、アングロ・カソリックに近いとする者までがおり、「ハーバート批評の宗教戦争」(G. E. Veith)と言われるほど議論が続いている。確かに本書の「摂理」「黙示録」「愚かで罪深い人間」「エルサレムの滅亡に関する預言」や「サタン」そして罪の告発などは、熱狂的プロテスタントが好んで使用する話題であったが、しかしこれらの人を脅すような表現は、牧師が教区民を強く説得する際に利用できる例の教示として読むことができる。また「すべての者は(天)職callingに就」くべきと言い、怠惰を非難して、「牧師の頭の中は、一日をできる限り利用し、最大の収穫gainを得られるように工夫することでいっぱいである」と、労働・勤勉と「収穫・利益」を結び付けており、プロテスタント的労働倫理を示唆していると思われる箇所がある。

ハーバートは、国教会主教の主流が神学的にカルヴィニストからアルミニウス派(ロード派)へと移行し緊張が高まる時期に生きており、自身は世代的に必然的にカルヴィニストであったが、しかしそれ自体は改革派であることを意味しない。言及のある信仰上の論争点では、聖餐式の跪拝、サープリス(聖職服)、簡潔な説教(説教主題の制限)、無関心ごと、善行(good works)等に関連する意見や、牧師は論争を避けるべきと諭す箇所などを読むと、その思想は穏健なものに見える。対立を避け揺れながら平衡を保とうとする態度はまさに保守的なアングリカンそのものであろう。完全無欠な正義(教会)は地上にはないのである。詩人オーデンは、「ハーバートは神学の教義上の相違については何も言わない」、「礼拝の作法と敬神の様式に関心があるのだ」と言うが、おそらくジェイムズ一世(-1625)のvia media政策に忠実に従っていたものと推測される(24章でPapistとSchismatickを論じている)。事実、教区民とともに生きる牧師の姿は、伝統的慣習的で「前プロテスタント的で、非プロテスタント的(a-protestant)」な聖職者像(P. Collinson)であり、教区民の家を訪ね歩き、慈悲深く親身に世話を焼く行為は、宗教改革以前からあった習慣の継続であった。

同時代のアイザック・ウォルトンやニコラス・フェラーは晩年のハーバートを聖人視したが、本書から、実際は俗をよく理解し機敏に働く世間智を持っていたことが分かる。ハーバートが収集した『異国風俚諺集』は詩と比較すると驚くほど世俗的で実利的である。ハーバートは熾烈な信仰心から『聖堂』を生み出す一方で、中庸性と実務家的精神で『田舎牧師』を書いたといえるであろう。そして詩人と牧師、内面と外面は必ずしも分裂した印象を与えていない。

法政大学 曽村充利