書評

サミュエル・バトラー(著)飯沼万里子・三浦伊都枝・高谷修(編集)、東中稜代(解説)、バトラー研究会(訳)『ヒューディブラス』

 松籟社 2018年 xxvi+438pp.

 

初めて『ヒューディブラス』研究会訳を目にしたのはまだ院生のころで、当時母校には学部・研究科図書館に別置書庫というものがあり、鍵を借りてそこへEarl Minerの(The Restoration Modeではなく)The Cavalier Modeを探しに赴いたときのことだった。目当ての本を見つけるより先に、ふと棚に並んでいた『翻訳西洋文学Euro』の冊子が目に留まり、捜し物もそっちのけで諸先生方の手がけられたそれまで未訳だった作品群の翻訳に興奮しながら読み進めるうち、Samuel Butler, Hudibrasの部分訳に出会ったのだった。東中先生がその雑誌に訳出されていたByron詩がのちに出版されたのはすぐに気づいたので、この騎士Hudibrasと従者Ralphoが不毛な冒険を繰り広げる『ヒューディブラス』もじきに書籍として刊行されるものと学生ながらに思っていたのだが、在学中にはとうとうお目にかかれなかった。

若手研究者の道を歩み始めて、研究会の諸先生方とも顔を合わせるようになってから、出版を企図してはいるもののなかなかまとまらない旨を伺っていたので、今回こうして三十余年の活動の末に、王政復古期の大諷刺詩『ヒューディブラス』の完訳書が上梓されたことはまさに欣快の至りで、その労苦も察するに余りある。個人的にも待望していた第三部末の往復書簡の邦訳が読めるとあって、昨年末の刊行以来、筆者も繰り返しそのよく練られた訳稿を熟読している。

こうして書簡の訳をことさら喜ばしく思うのは、筆者の関心が晩年のバトラーにあるからでもある。知己Aubreyに「多くの敵をつくり、友人を少く」して「貧困のうちに死んだ」「好漢」(206-207; 邦訳70-71)と哀悼されたこの人物は、Matthew Priorから「空っぽの頭を使っても渇望する胃袋を/養うことが今後もできるとは当然思えなく」(ll.9-10)なった食い詰め文人たちの所行と皮肉られたDryden-Tonson編の共訳プロジェクトOvid’s Epistles (1680)に訳稿を寄せてもいる。バトラーの亡くなる直前に刊行されたこの書籍は、別名『名婦の書簡』とも呼ばれるOvidius, Heroidesが原典で、彼は巻末に収められた往復書簡詩の一片“Cydippe to Acontius”の寄稿者だった。前述のプライアーによる諷刺詩でも『ヒューディブラス』の次の一節、

 

馬の肩脇腹を走らせたなら

残った脇腹も尻込みはせぬと(1: 1, ll.449-450)

 

を引きながらその協力体制を揶揄しているが、これは同時にバトラーへの当てつけでもあるだろう。

しかしバトラーが(おそらく第三部の執筆と併行して)英雄書簡詩を訳しているという事実は、『ヒューディブラス』の成立を考える上でたいへん興味深い。むろん『ヒューディブラス』本編は疑似英雄詩であるが、一方でこの巻末の往復書簡は「疑似英雄書簡詩」であるからだ。『名婦の書簡』各種翻訳の刊行やMichael Drayton, England’s Heroicall Epistlesといった著作を背景に、英雄書簡詩というジャンルが16世紀末~18世紀前半にかけてつかの間の復活を見たことは酒井幸三によっても指摘されているが(59-77)、Rachel Trickettによれば英雄書簡詩とは「置かれた状況や、女性の性格、その感情の極地を、いちどきに読者に認識させるある種のコード言語」(192)だという。捨てられた女の多彩な感情の発露を鮮やかな語りで悲劇的に表現するその『名婦の書簡』を反転させて、バトラーは巻末の往復書簡で、未練がましい情けない男の怨み言と、高貴な女性の決然たる拒絶を愉快に描出してみせる。

こうした英雄書簡詩の書き換えは王政復古期には他にもあるが、たとえば“Spencer’s Ghost”でバトラーの不遇を怒りとともに悼んだ文人John Oldhamの作“A Satyr Upon a Woman” (1678)は、ある女につれなくされ自死した友人の代わりに書かれたとする呪詛の書簡詩で、男女の立場の反転と強烈な罵倒が目を引くものの、そもそも英雄書簡詩はその元となる叙事詩内の出来事の知識が読む側にあるから読書の感慨が増幅するのであって、オールダムの詩のように元の文脈を離れて事件の知識もわからなくなってはなかなか鑑賞しがたい。だがバトラーの疑似英雄書簡詩は、その前提となる事件が疑似英雄詩としてそれまでに十分記されているから、同じ作品の掉尾に飾ることで「疑似英雄書簡詩」としての役割を見事に果たしてしまうという妙味がある。それでいてオールダムのようにミソジニー的な裏返しではなく、むしろ情けなくマッチョなだけの男を滑稽に諷刺するバトラーの筆致は、Margaret A. Doodyがかつてその可能性を示唆したように(75-76)、フェミニズム批評的にも読むべきところがあるだろう。

第三部と往復書簡は前二部に比して精彩に欠けるとも言われ、現代の版本では割愛されることさえあるが、ここで述べた通り再読に値するものである。それだけに省略されることなく収録され、ようやく日本語で読むことができた巻末往復書簡の小気味よい訳文が、いっそうの愉悦を授けてくれようし、『ヒューディブラス』の真価をあらためて教えてくれる。さらに簡にして要を得た豊富な注釈の数々からも学ぶところが多い。当訳を注とともに読んでいて今ひとつ気づいたのが、従者ラルフォーのフリーメイソン性である。独立派の庶民ながらに彼が王立協会を象徴して揶揄されるのは確かに不思議だったが、近年、王立協会の設立にあたってフリーメイソンの影響があったことを実証的に指摘する書籍が出ているように(Lomas, The Invisible College)、この互助結社はそれまでの神秘学や最新の科学知識を無学な中産階級にも伝えうる存在だった。筆者でさえも大小様々なひらめきがあるのだから、きっと他にも次世代の研究の芽を生み出していることだろう。「今だれがバトラーを読むのか」というJames Sutherlandの問いを受けたAlok Yadavは各時代の受容を確認した上でなお現代性がある『ヒューディブラス』の価値を見出すが(546)、この訳書に刊行されたまさに今から、その絶えざる意義に触発された各種研究が読めるようになる日を期待したい。

同じ時代の文芸を研究する同世代の仲間を少なくする筆者にとっては、『ヒューディブラス』研究会は羨望の的でもある。ついに『ヒューディブラス』が訳され、さらに若手も少なくなった今では、志を同じくする研究者たちとともにその時代の大作の本邦初訳に取り組む機会が果たして筆者に訪れるかどうか。ただ『ヒューディブラス』共訳者のおひとりである吉村伸夫先生と宴席で言葉を交わした折、筆者がそれでもひとりこつこつと当時の詩や文芸論を日々訳していることをお話しすると、我が意を得たとばかりに翻訳に対する想いを熱弁して励ましてくださり、後日ご自身の翻訳論まで送ってくださった。いわく「自分は食事を摂るがごとく毎日訳している」と。さればこそ翻訳は成る。かくありたい。

 

参照文献

Aubrey, John. Aubrey’s Brief Lives. Ed. Oliver Lawson Dick. Harmondsworth: Penguin, 1972.

Doody, Margaret A. “Gender, literature, and gendering literature in the Restoration”. The Cambridge Companion to English Literature, 1650-1740. Ed. Steven N. Zwicker. Cambridge: Cambridge UP, 1998. 58-81.

Lomas, Robert. The Invisible College: The Secret History of How the Freemasons Founded the Royal Society. London: Corgi, 2009.

Oldham, John. “A Satyr Upon a Woman”. The Poems of John Oldham. Eds. Harold F. Brooks and Raman Selden. Oxford: Clarendon, 1987. 80-84

—-. “A Satyr: The Person of Spencer is brought in &c. [Spencer’s Ghost]”. Ibid. 238-246.

Ovid. Ovid’s Epistles, Translated by Several Hands. Eds. John Dryden and Jacob Tonson. London: Tonson, 1680. EEBO.

Prior, Matthew. “A Satyr on the modern Translators”. The Literary Works of Matthew Prior. Vol.1, 2nd ed. Eds. H. Bunker Wright and Monroe K. Spears. Oxford: Clarendon, 1971. 19-24.

Trickett, Rachel. “The Heroides and the English Augustans”. Ovid Renewed: Ovidian Influences on Literature and Art from the Middle Ages to the Twentieth Century. Ed. Charles Martindale. Cambridge: Cambridge UP, 1988. 191-204.

Yadav, Alok. “Fractured Meanings: Hudibras and the Historicity of the Literary Text”. ELH, 62 (1995): 529-549.

オーブリー『名士小伝』橋口稔・小池銈訳、冨山房、1979

酒井幸三『ポウプ・愛の書簡詩『エロイーザからアベラードへ』注解』臨川書店、1992

 

京都橘大学 大久保友博